第二回韓日未来フォーラム / 戸田沙紀子

『私たちがこうやって二日間時間をかけて日韓関係の平和な未来構築の為に話し合って来たことは、実際の日韓関係平和構築には1ミリも役に立っていません。』

議長のまさに核心を突いたその言葉に、私たち若者のこれからの責任の重大さを感じ、また私たちが変えていこうという決意で胸が熱くなった。

 12月20日から一泊二日という合宿形式で行われた韓日社会文化フォーラムが主催したプログラムである、「韓日未来フォーラム」に討論者として参加した。インターネットで本フォーラム開催を知り応募したものの、正直なところ応募時点ではそこまで期待はしていなかった。というのも、こういった日韓プログラムは、結局はお互いの国のことに「良い意味」で興味を持った人が集い、ある種きれい事とも取れるような両国間の歴史や平和に向けての解決策を並べ挙げて「超」未来的な平和構築に満足するという、その一連のプログラム自体が「劇場型」を思わせるようなものであると思っていたからだ。どこかそんな諦めに似たような考えを持ち本フォーラムに参加したわけだが、その考えは見事に初日から覆された。最初のプログラムであった立場逆転プログラムから、あえてタブーとも思われるような内容でさえお互いに遠慮無く述べあい、またお互いの認識の差を深く感じた。センシティブな話題でさえ、相手の国にとってはとても重要な事でも、それが自分たちにとってはさほどの関心事ではないことや、また逆の場合も多くあった。総合的に、日本人学生よりも韓国人学生の方が歴史に関心がありまた日本人学生よりも日韓関係はもちろん東アジア関係歴史についておおく知識を持っているように感じられた。ゆえに討論が始まっても終始韓国人学生の方が多く発言ができていたように感じた。また中にはもちろん誤った知識や情報や認識が多々含まれていただろう。しかしその生々しさが逆にメディアによって作り上げられた各国意識の現状なのだと感じた。

 今回のプログラムの焦点は主に両国間におけるメディアに焦点が行われた。現代、グローバル化が進み、私たちは互いの国について「知る」ことがとても容易になった。それ故、多くの人がより互いの国について「知っている」ことが多くなった。しかし、この「知る」とは、果たして本当に互いを知る手段として完全なのだろうか。メディアは我々にどれほどの正確な真実を伝える事ができるのだろうか。実際日韓間において相手国の情報をどのように得るかという調査(第二回日韓共同世論調査より)においては各国90%を超える人々が自国メディアによって相手国の情報を得ていると解答した。故に、相手国の印象や認識といったものは、メディアにより形成された物であるといっても過言ではない。それ故に、メディアには本来説得力のある真実を伴った報道が期待されるべきである。

 今回のプログラムの焦点は主に両国間におけるメディアに焦点が行われた。現代、グローバル化が進み、私たちは互いの国について「知る」ことがとても容易になった。それ故、多くの人がより互いの国について「知っている」ことが多くなった。しかし、この「知る」とは、果たして本当に互いを知る手段として完全なのだろうか。メディアは我々にどれほどの正確な真実を伝える事ができるのだろうか。実際日韓間において相手国の情報をどのように得るかという調査(第二回日韓共同世論調査より)においては各国90%を超える人々が自国メディアによって相手国の情報を得ていると解答した。故に、相手国の印象や認識といったものは、メディアにより形成された物であるといっても過言ではない。それ故に、メディアには本来説得力のある真実を伴った報道が期待されるべきである。これはフォーラムの1日目の最後に行われた朝日新聞ソウル支局長である貝瀬さんの講演にも度々出てきたキーワードであるが、今日の日韓両国に共通することであるが、日韓報道は「説得性」を失った事実だけを列挙した報道になりつつあるように感じる。事実は事実として「嘘」ではないが、ある物事を報道するにしてもその物事が起こる背景を述べず事実だけを述べた「商業型」の報道になってきている。また、相手国の報道に関して批判をするにおいても、まるで「説得性」の欠けた「劇場型」報道が多く見受けられる。報道はあくまでも資本によって成り立つ故に、商業的になるのは仕方がないようにも思われるが、しかし、過度な「劇場型」に走り「説得性」を見失えば、いつまで経っても両国間の「勘違い」の溝は埋まることが無いと思う。また、メディアについてディスカッションの中で出てきた着目点として、『直訳による勘違い』が挙げられた。日本語と韓国語は文法はおろか、単語まで非常によく似た言語である。故に、韓国語と日本語は直訳をそのまましても、ある一定意味がお互いに通じ合ってしまう。しばしば、韓国メディアではこのように日本のことを報道しているとして、韓国の新聞記事やニュースを日本語に翻訳されたものを目にするが、本当にその言葉をそのままのニュアンスで鵜呑みにしても良いのであろうか。というのも、その翻訳者が日韓どちらかの言葉の母語話者であるとすれば、いくらプロの翻訳者が翻訳しているとしても、その翻訳者は必ずどちらかの文化背景を反映した翻訳になるはずだ。故に必ずその翻訳された文章はどちらかの言語「らしく」なってしまう。また、直訳をしたときに生じる言語的ニュアンスの差異により報道内容の誤解が生じうることも否めない。しかし、もちろん2カ国語話者にはなれたとしても、完全なる2カ国語母語話者にはなれない。それ故にこのような翻訳による「誤解」やニュアンスの差異が生じうるのだということも考慮されなければならない。この言葉のニュアンスの差については今回知り合った韓国人討論者との会話の中でも多く感じられた。

 本フォーラムで私が最も強く感じたのは、日韓間で様々な意見や思想が飛び交っているのを見て、純粋に「これも文化なんだな」ということである。体場逆転プログラムで、竹島・独島に関する話題が出たときに、日本人はあまり関心を示さなかったのに対して、韓国側の討論者は非常に熱弁したのを見た。日本人の学生に竹島について思うことを述べよと聞いたところで、その量は韓国人のそれの二分の一にも満たないだろう。そのとき、その弁論の内容がどうではなくて、純粋にこのように「竹島」に反感を持つことも当然のことで、それは彼らの文化的背景があるからなのであり、メディアが我々を操作し、我々は互いの国に関して誤解を多く持っていたとしても、今その現状自体がすでに各国民に内化されている時点で、それは文化なのだと考えた。日韓関係において、その平和的未来実現のためにも、歴史を1から紐解いていくことも本当の意味での「解決」に繋がるのかもしれないが、今我々に求められているのは、互いの思想・着目点の相違をひとまず「文化」として認識することから始めなければ行けないのではいだろうか。メディアを通してのみならず、直接交流をし、相手がどのように考えているのかということを「知る」ことから始めなければ、真の歩み寄りはできないように思う。

正直このような日韓交流の場に参加しようとするような学生で根っからの反韓嫌日家はいないとは思うが、しかしいくら互いの国が好きだとしてもその歴史や今まで両国間にあった問題や事件を全て無視して好きだという人も恐らく居ないだろう。このような互いの国に関して「関心」のある学者でもない学生がこの規模集まり議論したところで、画期的な解決策や正解など導けるはずもない。しかしこの集まった約40人全員が直接歩くメディア媒体となって無関心な自分の周辺の人々に既存メディアの商業効果抜きに真の互いの国に対する「文化」を伝えれば、根からの平和構築へ貢献できるのではと思う。議長が議会の最後に述べたあの言葉の真の意味はそういうことであると私は信じている。