제9회 한일미래포럼 참가후기 스즈키 마리노(鈴木毬乃)

  昨年の夏島根で開かれた第 7 回韓日未来フォーラムに通訳として参加したことをきっかけに、第 8 回は実行委員兼通訳として、そして大変光栄なことに第 9回は委員長として携わることになった。

  1 日目は韓国からの飛行機が 1 時間半もの遅れを生じたこと、また、その場に居合わせていなかった私がサンレイクの送迎のバスの運転手の方との連絡口となっていたこと、事前に聞いていた行き方とは異なるルートでサンレイクに向かわれた参加者の方がいらっしゃったことなどに対する、私の対応力不足でサンレイクから送迎に向かってくださった運転手の方やサンレイクの職員の方がに多大なるご迷惑をおかけすることとなり、大変申し訳なく感じている。スケジュールの大幅なずれにより、1 日目に予定していたチーム活動ができなくなってしまい、チーム活動の時間が減ってしまったことは大変残念であった。

  2 日目は、フィールドワークとして出雲大社に一畑電車で向かった。討論チーム、部屋割りとは全く別のチーム編成にしていたため、ここで新たに人々のつながりができたことは大変良かったと思う。電車の時間等も実行委員を中心に全ての参加者の方々が守ってくださったため、スムーズに移動することができた。

昼食を含め 2 時間半という時間は、適当だったという人もいれば、お土産を買うには少々時間が足りなかったという参加者もいた。昨年はサンレイクさんからバスで送迎をしていただき、大変快適な移動であったが、今年は人数の関係でまとまって一畑電車を利用することになり少々不安であったが、ローカル電車に乗るという一つの文化体験にもなり、これはこれで良かったと思う。移動の際は一畑電車に連絡をして団体券を利用した。1 日目にできなかったぶん、2 日目が本格的なチーム討論となった。翌日が発表であったため、夜中遅くまで準備をしているチームもあった。その活動時間は、睡眠をとることは全体で約束し、リーダーと実行委員に一任したが、チームごとだけでなく、夜になるとチーム内でも活動への熱心さに偏りが見られて少々残念であった。夜に 15 分程度各チームのリーダーを集めてリーダー会議を行って、各チームの様子と進度、またリーダーとして今大変なことはないかを聞く時間を設けた。

 3 日目は午前に準備をして発表をした。1 日目のチーム活動をすることができなかったというのも影響して、今回討論と準備の時間が不足していたこともあり、バタバタと準備することになってしまった。私の記憶では、第 7 回のフォーラムの発表は 3 日目の夜にし、全員が静かに着席して発表に耳を傾けることができたが、第 8 回、第 9 回は発表中にも全員が揃わず裏で自分のチームの発表準備に追われ、他のチームの発表を聞けない人が多数いた。これは次回の第10 回では改善すべき点であると考える。また、今回特に顕著に表れていた特徴として、発表に対しての日本人参加者の質問がほぼなかったということだ。ゼロではなかったが、質問の大半を韓国人参加者が占めていた。全体の討論を通しても言えることであるが、日本人参加者の積極性がもう少しあっても良いのかと思う。そして、プレゼンテーション後にバーベキュー会場に移動することになっていたが、バーベキュー自体が 1 時間半ということもあり、非常に時間がなかった。昨年は閉会式を最終日の朝出発前に行ったため、参加者全員が揃わなかったので、それは避けたいと思い 3 日目の夜に行うことにした。第 8 回で交流として盛り上がったマニトゲームも行いたかったため、その発表とバーベキューを同時並行にしたが、それもまた慌ただしくなる結果となってしまった。その結果、閉会式に私を含め数人の実行委員が参加できなくなってしまったことを、大変申し訳なく感じている。

  4 日間を通して時間に余裕をもたせたつもりであったが、サンレイクさん側がしてくださった時間設定との兼ね合いもあり、余裕のない部分が多く見られた。この経験を糧に、次回はもう少し余裕のあるタイムスケジュールとしたいと思う。また、サンレイクには私たちの団体だけでなく、他にもいくつかの団体様が同時期に宿泊をされており、時間厳守が原則であったが、守っていない人がいるというご指摘を日毎に受けた。その点も、私のスケジュールの計画と管理の能力が不足していたためである。次回サンレイクでの宿泊をする際には、時間厳守とそのための余裕あるタイムスケジュール、そしてコンビニまでの距離が離れていることを考慮した持ち物の準備、送迎バスの連絡窓口を実際に乗車する人にすること、そしてどこから何人が乗るのかということを事前に明確にしておくこと、という点をアドバイスしたい。

  準備段階では島根県文化国際課の浅野様にサポートしていただきながら、サンレイクの担当者の方とコンタクトをとり、準備を進めた。日韓の学生合わせて50 人ほどを動員するため、様々な変更が度重なったにも関わらず、大変ありがたいことに、浅野様とサンレイクの担当者様がその度に対応してくださった。また、2 日目と 3 日目には、浅野様と、島根県の新聞社と県の方が取材に来てくださり、新聞にも載せていただいた。こうして私たち学生の活動を取り上げていただけることは大変ありがたい。

  フォーラムの前日から、フォーラムの期間中まで、何度も予期せぬ問題が度々生じ、大変慌てる場面が何度もあった。しかし実行委員たちと通訳として参加してくださった学生たちのおかげでなんとかその問題を無事全て乗り越えることができた。そして、これまで委員長をつとめて来られた先輩方からのアドバイスも大変ありがたかった。

  また、何よりも韓国からこの 4 日間のために来てくださった ACOPIA のチョ・ダヘ チーム長がいてくださったことが、私にとって大きな心の支えとなった。リーダーとして実行委員を含め 50 人もの日韓の学生動かすという責任は、私自身初めてであり、慣れないことばかりで参加者、実行委員、サンレイクの方々等多くの方に迷惑をかけた。また、この 4 日間度重なった予想外のハプニングにもリーダーとして動じてはいけないという思いもあったが、チョ・ダヘチーム長がいてくださったことで本当にありがたかった。

 

  4日間本当に慌ただしく大変な日々であったが、本当に多くの人々に支えられ無事に終えることができた。何より嬉しかったのは、フォーラムが終わってから参加者たちが充実した時間であったと言ってくれたり、その余韻に浸っていると聞いたことである。平成の夏、多くの日韓の学生にとって忘れられない思い出を残すことができたことは、私にとって大変幸せなことであった。


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